7月14日。ペリー(黒船)が上陸した日★
日本人であれば誰もが歴史の教科書で出会ったことがある人物。
同じく7月14日は、1977年、日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」がアメリカ・ケネディ宇宙センターから打ち上げられました。
それにちなんで、「ひまわりの日」と制定されています。
ということで、今回はペリーとひまわりのコラボイラスト描いています。
また、ちょっと面白い黒船雑学も添えてご紹介★
ペリーは何しに来た人?
1853年7月14日。ペリーが乗った黒船4隻が神奈川県久里浜に上陸しました。
彼は鎖国中であった日本に対し、開国などの要望を記した親書を幕府に渡したのです。
見たことも無い大きな蒸気船。圧倒的な航海技術力。
当時の日本人には大きな衝撃と恐怖を与えたそうですよー。
その後、ペリーとの間に「日米和親条約」が結ばれ、鎖国政策の終焉を迎えたのですよねー。
思い出しましたかー?
ペリーと日本人はどうやって会話した?
日本は鎖国中。ペリーはアメリカ人。英語なんて幕府の人間は話せたの?
ちょっと不思議に思いませんか?
その疑問にお答えしちゃいます。
実は日本は鎖国中も、長野県の出島を通じて中国・朝鮮・オランダの一部の国と交易をしていました。
交易をやめると世界情勢がわからなくなっちゃいますからねー。
そのため出島にはオランダ語を話すことができる通訳がいたのです。
ということで、ペリー側の使者がオランダ語で要望を伝え、通訳が日本語に変えて幕府に伝える。またその逆を繰り返し、会話が成立したというわけ。
オランダ語で話をしていたんですねー。
納得★
ペリーはなぜ鎖国中の日本に上陸できた?
鎖国中にも関わらず、なぜペリーは上陸できたのでしょうか?
これまた疑問★
ペリーは出島で交易が行われているのを知っていました。
あえて出島ではない江戸湾の浦賀を目指してのです。浦賀に突然現れ、日本より先に大砲で威嚇攻撃★
この作戦が成功!というわけです。
不意打ちってやつですよ。頭がいいなー。
ちなみに当時の船は燃料もそんなに積むことができません。
ペリーはアメリカから東回りにヨーロッパを経由し燃料を補給しながら日本に来たと言われています。
従って、半年以上かけて日本にきたと言われているんです。
凄くないですかー。
だから、何がんでも契約を結んで帰りたかったー。
必死になるわけですよー。
でも、あの時鎖国が解かれていなければ、未だに日本はちょんまげつけてるかもしれませんねー。
そう考えると歴史あってこそって思ってしまいますね。
黒船はなぜ黒い?
迫力ある黒船ですが、実はあの黒い色にも意味はありました。
実はあの色は「コールタール」と呼ばれるもので、石炭を焼いて精製するとできる粘着性の高い液体なんだそうです。防腐剤の効果があります。
当時の船は木製。木材が腐らないようにすることが1番重要でした。
だから真っ黒だったんです。
意味を知ると歴史に深みがでますね★
まとめ(イラスト)
そんなちょっと歴史を更に面白くする雑学まとめてみました★
いかがでしたか?
ひまわりとペリーのコラボイラスト★
たまには歴史に浸りながら、現在の豊かな時代、便利な世の中に感謝するのも悪くないですね。